ながみねにっき

毎日22時に投稿される、雑感と、たまーーにミニコミ

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通勤中。対向車線の道路沿いに車が停まっていた。なんだろうと思っていると、道のどまんなかに猫が横たわっている。撥ねてしまった猫を保護する途中だったらしい。通り過ぎる瞬間に頭が動いているのが見えたから、たぶんまだ息はあるんだと思う。猫にかぎらず、道路脇に息絶えた動物なんて何度も見てきたけど。(原付きを運転してると、モロに目に入る)それを保護する人は初めてみたかもしれない。そういう人もいるんだな。

親がよく『人には親切にしなさい』と言っていた。社会で生きてくためには、必要なことだとは思う。けど、親切にしたからと言って、その親切が返ってくるとはかぎらない。むしろ、そういうことを口酸っぱく言う人から、逆に親切にされたためしがない。優しいからって人に好かれるわけじゃないんだろうな。自分も精一杯職場の若い子に優しくしていたけど、あまり懐かれた感じはなかった。彼女は結局、いつでもウェルカムみたいな、いつ行っても優しい人にだけ懐いた。

経験上、単純に優しいだけの人は、相手を調子に乗らせる。優しいことをいいことに、利用されてしまう。ちょっと意見が食い違ったときに『そんな人だと思ってなかった』なんて言われることも多々あった。何かが違うんだろう。

育児放棄されたわけじゃないけど、褒められることは少なかった。それは弟も同じだったはず。なのに、弟の方が、周囲からの評判は良かった。同級生の中でも、主張を抑えられたのはどちらかといえば、わたしだった。いじめだって、嫌な思いをしたのはこっちなのに、どういうわけか、加害者側に思いやりを持たなければならなかった。書いててよくわからないけど、そうやって他人の都合を優先しないと生きることが難しかった。そんなことしても、なんらリスペクトされるわけじゃないのに。

カウンセラーからは『もっと自分の生きやすさを求めていい』と言われた。『わたしの生きやすさを求めること』と、コミュニティの中で生きてくことが、どうもイコールにならない。生きやすさを求めるなら、生きにくさの根源になってる人を根絶やしにするしか方法がないのではと思えてしまう。社会の中で生きてく上では、多少生きづらさがあるのは仕方がないのでは。誰かが気分良く生きるためには、結局、誰かが泣かないとならない。

とはいえ、あの猫を保護したひとには、どうか幸せになってほしいと思う。そのあとどうなったのかを知らないから、どうも言えないけど。