作ってるミニコミに載せるためのイラストを準備してた。
どこで使われるかは、見てのお楽しみです。
※3/17追記:
修正して上げ直してます。
3週間ぶりくらいの土曜休日。Rとリニアを見学してきた。
駐車場から歩いている間にも、試験走行中の轟音が鳴り響いている。施設にはいり、健康チェックシートを記入。(これも時勢かな)
館内をみてまわっていると比較的すぐに、車両が通過するというアナウンスが聞こえた。
あわてて展望スペースに行き、スマホのカメラを構える。案内してくれるスタッフさんが、通過までの残り時間を秒単位で教えてくれた。タイミングを逃したくなくて、残り10秒を切ったくらいでカメラを連写。
次の瞬間、リニアが轟音を立てて眼の前を過ぎ去っていく。振動で建物が揺れた。来た、とおもったら、あとはレールしか見えない。カメラを悠長に構えてたら、写真に収めることすら難しいスピード。時速500キロ、てこんな感じなんだな。
轟音と振動で来たことは解っても、肉眼で捉えられるのはほぼ直線。又聞きした話だと、2度3度みて、はじめてその形がわかるとのこと。
多分、車内からの景色なんて、絵筆でびーっと線を引いたようにしか見えないんじゃ、と思った。
どこかのゲームのキャラクターみたいに「残像だ」て言ったらRに笑われた。(ゲーム自体は知らないのだけど)
仕事帰り、母への誕生日プレゼントを買うためにイオンモールへ。財布がしょんぼりしていて、まずはATMに寄った。前の人が妙に時間がかかっているみたいで、そのまま並んで順番を待つ。
並んでいる場所から「いちご大福」と大きく書かれたのぼりが見えた。和菓子って久しく食べてない気がするな。いちご大福かあ、いいね。用事を済ませたら買って帰ろう。とATMを出ながら決心する。
無事に用事も済んで(母へのプレゼントはカラオケメガホン)、決めたとおり和菓子屋に寄った。いちご大福はこしあんとつぶあん、それからチョコ餡とホワイトチョコ餡の4種類ある。
せっかくだから、家族にも買っていくことにする。こしあんを3つにホワイトチョコレート餡を2つ(うち一つは自分用)、パックに詰めてもらった。レジ袋の代わりなのか、そのまま取っ手付きの化粧箱に入れてもらう。和菓子と言うより、ケーキ屋の入れ物みたい。それよりも、直売所で売られているいちごのイメージなのかな。
実際に食べてみて、ホワイトチョコ餡は美味しかったけど、和菓子となるとやっぱり餡子なんだよな。身も蓋もない話だけど。
お昼にスーパーで海鮮丼を買った。うに、いくらが入ってるちょっとお高めのヤツ。本当は寿司にする予定だったけど、お寿司売り場をみてなんとなく食べたい物がなかったんだよね。
海鮮丼は3種類くらいあったかな。めっちゃ迷ったけど、ウニの魅力には勝てなかった。最近の回転すしでもウニの軍艦ってみないよね。気のせいかな。おもいつきで、マグロのたたきも買ってみた。カゴだけみると、飲ん兵衛みたいなチョイス。
イートインで丼にマグロのたたきをのせながら「ここに温玉があったらな」とか思ったけど、スーパーだとバラ売りしてないから、6個入りのパックとか買っても後々困るんだよね。ただ、海鮮丼に入ってる頭付きのエビに、濃厚な味噌が入ってたからそれに救われた。エビ味噌最高。
結局、回転寿し行くのとさほど変わらない金額がかかったけど、個人的にはこういうお昼ご飯もアリだなとおもった。まあ、家でやれって話なんだけどね。
いじめについて話している下りがあるので、苦手な人は気をつけてください。以下の内容は、一個人の意見として考えていただけると幸いです。
最近、好きなものを好きだと言えることって尊いんだなと思っている。長い間、『好きなものには根拠がなければならない』という考え方がなかなか拭えずにいたからだ。
あれは中学生の頃、同級生から言われた「〇〇(私の本名)のそれは好きとは言えないよ」のひとことがきっかけだった。私は当時流行っていた漫画が原作のアニメに夢中で、当時は『原作は読んでいて当たり前』みたいな空気が漂っていた。アニメだけに夢中だった私は、同じ作品が好き同士でも、会話に入れてもらえなかった。原作を読んでいることは、そのグループ内で発言権を得るには必須条件だったのかもしれない。
私はそれ以降『これは好きに値するものなのか』なんてことを自分で確認しないと落ち着かなくなってしまった。もちろん、好きになることに根拠も条件も必要ない。そんな物差しすら本当は意味が無い。そうしているうちに、自分が本来楽しかったことが、義務のように感じられてきて。それこそ勉強とかそういったものと大差なくなってしまっていた。つまらないなと感じるにはそう時間がかからなかった。
そういった感情から抜け出せたのは、つい最近のこと。ある意味吹っ切れたこともあるけど、好きという感情に優劣をつけること自体無意味だと実感したからかもしれない。
好きなものを好きでいるために、せめて誰かの好きなものを無神経に貶さない。自戒の意味も込めて、大切にしていきたいと改めて思った。