ながみねにっき

毎日22時に投稿される、雑感と、たまーーにミニコミ

空気読むの苦手な自分がコミュニケーションについての考察をしてみたぞ。



過去最高に長いタイトルになりました。もはやタイトルじゃなくて文章だよね。


ネットとリアルにかかわらず、コミュニケーションに悩む人は多数いるもので。そういう自分もそのひとり。いわゆる空気を読むだとか、察するだとか、未だに”わかんねえよ”と思うこともあるわけで。コミュ力高い人とかうらやましいやら眩しい限りで、本当頭が上がらないです。

空気読めない人はどこでも煙たがられてるけど、空気読みすぎる人もそれはそれで悩むところがありそうですね。

タイトルにも書いたとおり、自分もかつては空気読めない人でした。でしたじゃないな、今もそういうところあるよねくらい。あまり他人からは気づかれなくなった程度です。
最近はコミュニケーションの度合いにも名前をつけるようになって、なんかよけいにやり取りしづらいよね。なんて感じてる今日このごろ。職場内で空気読めないよねアイツて発言を聞くと、自分とは関係なくても傷ついちゃいます。

そんな自分だからこそ言える、空気読めない人側の特徴をひとつ上げるなら。好奇心が人よりも特に強いこと。自分にはたとえ関係なくても、人や物事に関する興味が半端ないです。いろいろ知りたいから、とにかく話す。子どもがナンデナンデと聞くのと同じ感覚です。まず興味がないなら話そうとはしないよね説。

で、空気読み過ぎちゃうて人なんだけども。変な話、こっちが日本人的な感覚なのかなと思ってて。人と会って話すとき、音声だけじゃないところで感じることも多いじゃないですか。笑ってるのか泣いてるのか、どんな仕草してるかなとか。そういうところから読みとるチカラが優れてるんじゃないかなてイメージがあります。発言するだけがコミュニケーションじゃないし、口にしないからこそ気づくところもあると思うんだよ。

てな感じで空気が読めない側なりの解説と、空気読みすぎちゃう人の感覚を推測してみましたが。
今のところ自分の中では、空気が完璧に読めてる人はそうそういないという結論に落ち着いてます。空気読むことは結局、その場の雰囲気とか、自分の立場とか、そういった未確定なものを総合的に判断して行動することだからさ。それがある程度の度合いを超えてくると、煙たがれちゃったりして。最初からちょっとの読み違いは誰にでもあるものだって認識がほしいところ。でも中々そうはいかないから苦戦するしかないんですよね。


というまとまりのない雑談でした。。。。あとあと読んで恥ずかしい奴とか思うんだろうな自分で。